sunsun
自分で繋がりを生み出しているわけじゃなくて、繋がりの中に自分が生かされているんだということをかみしめる日々。

3月はほとんどずっと家にひきこもっていて、様々な予定もキャンセルになって、暗闇の中でじっとしておりました。4月に入って、まるでその反動かのように、いろいろな人に会ってます。削られた部分を取り戻そうとするより、というより、やっぱり正直に言って、今はみんな一人でいたくはないのだ、という気もする。

好きな人たちの笑顔を見ると、こんなにもほっとする。
元気って知ってても、大丈夫って分かってても。

全ての関係性はそれひとつしかないものだ。大切な人たちに出会えた人生を幸運だと思うし、その人たちのためだったら、どんなことでも、なんて軽々しく言ってはいけないけれど、でも、できる。

出会いのシステムはどういう風になっているんだろう。それについて考え出すといつも不思議すぎて面白すぎて、モンモンとしてしまうのです。笑。

地球にいるたくさんの人たち、100年くらい生きてもそういう人が存在していることすら知らないまま終わる人が99%を占める。だからそもそも繋がった、出会った、というだけで、その人は人生変えるかもしれないスペシャルな存在。年齢も性別も社会的地位も関係なく。

最初の、袖触れ合うゾーン。しっかり出会うゾーン。一緒にごはんを食べたり遊んだり仕事をしたりするゾーン。一緒に会社を作ったり、親友や恋人や家族になったり、そういう深いゾーン。どんな深いゾーンも、まずは袖触れ合うところから始まる。ゾーン通過のペースが速い場合もあれば、途切れたり繋がったり、長い時間がかかる場合もある。

「全くの偶然で」とか、「その時はこうなるとは思ってもいなかった」とか、「ひょんなことから」とか、関係性について語るときそういう風に言う人は多いけれども、考えて辿っていけば、「たまたま」でない出会い、幸運でない出会いはきっとない。

どうなってどうやって、そうなるんだ!
不可思議な宇宙の出会い系システムだ!

見渡してみると、複雑な繋がりが見える。朝顔みたいな蔓っぽい植物に視覚化される感じ。思いもよらないところに不思議な形の絡まりが出来てたり、変な形のでもキレイな花が咲いてたりする。枯れてしまっているところもある。
見ていて幸福な気分になる部分と、悲しく苦しい気分になる部分と両方ある。でもきっとそういうもんなんだろうと思う。全部ひっくるめて、自分を生かす宇宙そのものだ。あたらしい繋がりも、むかしからある繋がりも、同じようにからまって有機的に刻一刻と動いている。

あんまり形にとらわれないで、繋がりを大事にしていこう。ずっと。出会いには常に好奇心を持ってワクワクした気持ちで貪欲に臨もう。自分も誰かの繋がりの大事な一部になれたらこんな素晴らしいことはない。

人は繋がりに生かされてるけど、人がいるからこそ繋がりはある。生きてても死んでても。一度生まれた繋がりは自分という個体が消えても残るものだし、もしかしたら全然別の、思いもよらない蔓の端っこの方で、小さな花くらい咲かせるものかもしれないから。
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