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単純な脳、複雑な「私」
久々に本の感想。池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な私」がものすごぉ~く面白かった。「脳を使って脳を研究する」のが脳科学。様々な実験や研究結果など、面白いことが多すぎて、かいつまんで紹介できるものではないのですが、はっとするような言葉がたくさんありました。
この特設サイトでは実験の一部の動画も見ることが出来て、とても面白いです。ニューロンが奏でる音楽、なんてものも聴けますよ!これ、ピンク色の斑点が消えるやつなんてほんと不思議。
以下自分の覚え書きも兼ねるので、ただの羅列です。

「身体状態を説明するための根拠を過去の記憶に求める」
「脳は外部からの情報に対して納得できる理由を求めるため、ときにストーリーをでっちあげる(作話)。行動を観察しその後感情をこじつける」
「一生で出会える人間の数は限られている。恋愛は自分にとって“ベストではないかもしれない”相手の遺伝子で満足するための装置」
「生命の定義は見る主体がそれを”生命である”と感じるかどうか」
「人間にある自由は、自由意志でなく自由否定」
「行動に移る前から、脳はすでに行動する準備をしている」
「生物は先祖生命機能を使いまわすことによって進化してきた」
「心の痛みと物理的痛みは脳の同じ分野で感じている」
「心はヒトが他者を観察の延長で自分を観察できるようになったことで生まれた」
「心は脳にあるのではなく、全身に、あるいは周囲の環境に散在する」
「どのくらい前という感覚はネズミにもあるが、”いつ”を認識できるのは人間だけ」
「眼球の網膜は進化の失敗作」
「脳に特定の信号を送ると人為的に幽体離脱を起こせる」
「脳のゆらぎ(ノイズ)。それをあえて生み出し、修正することで生じるエネルギーが脳のガソリン」
「ランダムなノイズから、美しい秩序が創発(単純なルールに従い同じプロセスを繰り返すことで本来想定していなかたような新しい性質を獲得すること)される」
「心も創発による産物。驚くほど少数の簡素なルールの連鎖で勝手に生まれたものだが、それを人間は必要以上に神秘的にとらえている」
「人間が並行処理できることは7つ前後であり、無限を実感としては理解できないからメモリがあふれて心を”不思議なもの”と感じる」
「”有限”というメタ意識を持てることがヒトをヒトたらしめる」

池谷さんが先生として母校でやった特別授業の記録なので、ご本人も書いてらっしゃいますが表現をだいぶ簡略化して分かりやすくしているのだと思います。だから必ずしもこんな風に簡単に言い切れるものばかりではないのだと思います。が、私のような脳初心者にはその恐ろしさすらはらんだ極端さが面白かった。

全体を通して印象に残ったのは「脳は孤独だ」という一行。頭蓋骨というヘルメットの中に閉じ込められて真っ暗なオペレーションルーム。だからサバイバルのためフル稼働し、常に外部からの情報を必死に取り入れているのです。想像しながら、補完しながら、予測しながら。
自分がこうだと思ってたり、こう感じている、と思うものって実際は本当に曖昧。自分に見えている世界が、隣の人に見えている世界とは限らない。そう思うと結構危うい、すぐに崩れてしまうようなつり橋みたいな認識世界の中に立ってるんだ。ちなみに私は自分の「心=意識」というものは常に目の裏っかわにあるような気がしているのですが、きっとそれはあちこちに散在している心の1つに過ぎないんだな。

複雑に見えるものが、実はそんなに複雑ではない。簡単に見えるものが、実はとっても複雑。脳なんて複雑の最たるものに見えるけれど、実は以外に間違えたり、言い訳したり、適当だったり、お茶目~。今まで脳というと手の届かないアイドルみたいな認識でしたが、実はそのアイドルが同じ地元、同じ高校出身だったと分かったときみたいな親しみやすさが沸きました。

頭の中にあって自分を動かしているものを研究するってどんな感じかな。自分自身そのフレームの中に居ながらにして研究するのは自己言及であり矛盾を孕まざるを得ない。(それは本の中では「リカージョン」と呼ばれています。)それでも決して100%解明は出来ないその道程を宝箱を探すみたいに冒険する、いち冒険者としての池谷さんの情熱とワクワクが伝わってくる本でした。

あーおもしろかった。暑い日に家でじっくり読むのにとってもオススメです。
これからもよろしく、脳。