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3月11日、あれから1年が経ちました。
あまりにもいろいろなことがあって、変化があって、いちいち立ち止まっては悩んだり、気づきや、かすかな光に希望をもらったりもして、ものすごくはやく過ぎたような、でもものすごくゆっくり過ぎたような、今までに感じたことのない感覚。
この1年「自分にできること」という言葉を何回言ったことか、聞いたことか。悲しみ、無力感と絶望感の中で、私もそうだけれど普段の生活にそれほど変化がなかった人たちは、日常との間で混乱したり罪悪感を抱いたりしながら葛藤してきたように思う。私はいくつか復興支援のプロジェクトに関わったし、寄付もしたし、1週間くらいボランティアに行ったけれど、じゃあそれで十分だったのかとか、もっとできたことがあったんじゃないかとか、考え始めたらキリがなくなってしまう。ボランティアもまた行こうと決心して、その後行けていない。
けれど、きっとそれしかなかった。どうするべきだも、これが正しいも、どちらがより貢献している、もきっとない。おかれている状況も歩んできた人生も1人1人違う中で、それぞれが自分の中に一番バランスがとれるポイントを見つけて、その足元をしっかり踏みしめていくしかない。それが普段と変わらない生活を送ることであるという人もいれば、現地に行って復興に全てを捧げることであるという人もいる、そういういろんな違いがあるだけ。
だからひとつだけ意識してきたことがあるとすれば、考えは自分の中でなるべく消化して、人に伝えるときにはともかく慎重になろうということでした。どんな意見だって持つのは自由だけれど、声高に叫んだり一方的な共有を求めたりした瞬間に暴力にだってなってしまうから。嵐みたいに何のフィルターも通されていない言葉や情報や意見が飛び交ってる中で疲れてり傷ついてたりする人が多くいた。不安や怒りはすぐに口に出してしまいたくなるけれど、慎重でいたい。同じ場所にいるように見えても、実は自分が立っている場所と相手が立っている場所は違う星、くらいの気持ちで。
真逆の考えに出会っても、流されず、ジャッジもせず、寛容でありたい。移住してもいい、しなくてもいい。被災地の食べ物を食べてもいい、食べなくてもいい。何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。とにかく、自分の心にだけは嘘や矛盾がない状態でぷっかり「楽に」いられる、浮き島みたいな場所をそれぞれが見つけられればいい。
「3・11を機に世界は変わった」みたいな言葉もたくさん聞いたけれど、多分そうではない。世界が変わったんではなく、ただこれまで隠されていた部分が、次々浮き彫りになって見えやすくなっただけ。変わったんだとすれば、それは世界じゃなくて自分なんだということを忘れてはいけないと思う。
1年経ったからといって何も終わってないし、どこまでいったら終わりもない。被災地の方々にとってはきっと、あれから何年、なんていう節目というよりも、それはただずっと目の前にあってこれからもありつづける現実。私は相変わらず無力だけれど、これからもやっぱり、できる範囲でこつこつできることをしていこう、と1年前と同じことを思う。そして「節目だから」といって思い出したり何かをやったりする出来事にするのではなくて、震災をこれからも日常の一部にしていけたらと思う。
今生きていること、今日を今日として生きていけるのが幸運な偶然であること、空気みたいにまわりにあったのに、これまでは気づけなかった奇跡や絆への感謝も忘れずに。
今日は何のイベントにも参加しなかったけれど、1年前の2時46分から今日までのことを、ひとつひとつ、日記を読み返しながら、その時の自分の気持ちや見た風景をひとつずつ目の前に浮かべて、もう一度体験してみました。そしてその時間には目を閉じて、ただただ、強く祈りました。日和山公園から見下ろした風景を思い出しながら。その瞬間確かに、日本中がうずみたいに祈っているエネルギーの一部になった感覚がありました。どうか、魂たちがもうこわいことなんて何もないあったかな場所で、安らいでいますように。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。深い傷はそんなに簡単に癒されるものではないのはもちろんだけど、これからの1年、ここまでの1年よりは笑顔が多くなる1年でありますように。
けれど、きっとそれしかなかった。どうするべきだも、これが正しいも、どちらがより貢献している、もきっとない。おかれている状況も歩んできた人生も1人1人違う中で、それぞれが自分の中に一番バランスがとれるポイントを見つけて、その足元をしっかり踏みしめていくしかない。それが普段と変わらない生活を送ることであるという人もいれば、現地に行って復興に全てを捧げることであるという人もいる、そういういろんな違いがあるだけ。
だからひとつだけ意識してきたことがあるとすれば、考えは自分の中でなるべく消化して、人に伝えるときにはともかく慎重になろうということでした。どんな意見だって持つのは自由だけれど、声高に叫んだり一方的な共有を求めたりした瞬間に暴力にだってなってしまうから。嵐みたいに何のフィルターも通されていない言葉や情報や意見が飛び交ってる中で疲れてり傷ついてたりする人が多くいた。不安や怒りはすぐに口に出してしまいたくなるけれど、慎重でいたい。同じ場所にいるように見えても、実は自分が立っている場所と相手が立っている場所は違う星、くらいの気持ちで。
真逆の考えに出会っても、流されず、ジャッジもせず、寛容でありたい。移住してもいい、しなくてもいい。被災地の食べ物を食べてもいい、食べなくてもいい。何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。とにかく、自分の心にだけは嘘や矛盾がない状態でぷっかり「楽に」いられる、浮き島みたいな場所をそれぞれが見つけられればいい。
「3・11を機に世界は変わった」みたいな言葉もたくさん聞いたけれど、多分そうではない。世界が変わったんではなく、ただこれまで隠されていた部分が、次々浮き彫りになって見えやすくなっただけ。変わったんだとすれば、それは世界じゃなくて自分なんだということを忘れてはいけないと思う。
1年経ったからといって何も終わってないし、どこまでいったら終わりもない。被災地の方々にとってはきっと、あれから何年、なんていう節目というよりも、それはただずっと目の前にあってこれからもありつづける現実。私は相変わらず無力だけれど、これからもやっぱり、できる範囲でこつこつできることをしていこう、と1年前と同じことを思う。そして「節目だから」といって思い出したり何かをやったりする出来事にするのではなくて、震災をこれからも日常の一部にしていけたらと思う。
今生きていること、今日を今日として生きていけるのが幸運な偶然であること、空気みたいにまわりにあったのに、これまでは気づけなかった奇跡や絆への感謝も忘れずに。
今日は何のイベントにも参加しなかったけれど、1年前の2時46分から今日までのことを、ひとつひとつ、日記を読み返しながら、その時の自分の気持ちや見た風景をひとつずつ目の前に浮かべて、もう一度体験してみました。そしてその時間には目を閉じて、ただただ、強く祈りました。日和山公園から見下ろした風景を思い出しながら。その瞬間確かに、日本中がうずみたいに祈っているエネルギーの一部になった感覚がありました。どうか、魂たちがもうこわいことなんて何もないあったかな場所で、安らいでいますように。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。深い傷はそんなに簡単に癒されるものではないのはもちろんだけど、これからの1年、ここまでの1年よりは笑顔が多くなる1年でありますように。