
1歳1ヶ月になったピノ。
最近はどういう感じかというと、もっぱらこういう感じです...
そう、ジャイアン的!

スペインにいる義弟が送ってくれたアフリカン柄のロンパースを着せたら、なんだか「伝染るんです」のかわうそくんみたいになりました。雑誌物色中。
1歳になる前にヨチヨチ歩き出したピノは、もはや歩けなかった時代なんて存在していなかったかのように、スタスタスタスタと歩いています。視界が開け、自由度が増し、できることが増えて、もう肉体が思い通りになるのが楽しくて仕方ない!って感じで一瞬たりともじっとしていない昨今。転んで擦り傷など作っているすね、マシュマロみたいだった足の裏もなんか固くなってきて、もう赤ちゃんの足ではない。立派な幼児。
それに伴って、だんだんこれまでのように家に2人きりでいても間がもたなくなってきました。最近はよく公園や児童館などにいくようになりました。自分が子どもを産む前は、なんで公園デビューなんていう言葉があるんだろう、なんでまたわざわざいろいろありそうな公園に行かなきゃいけないんだろう、と思っていたけれど、謎はとけました。
歩き始めの赤ちゃん▶︎エネルギー有り余ってる▶︎母はますます自分のことできない▶︎きちんと昼寝し、夜も寝てもらわないと困る▶︎なるべく疲れさせて、運動させる必要がある▶︎でもできること限られてる、っていうか歩くしかできない▶︎危なくなく、だだっ広い場所が必要▶︎公園!
という分かりやすい図式だったのですね。なるほど。ちょうどうちの近くには車の通らない緑道などもあるので、お散歩に重宝しております。
もう一つが児童館。そんなのものの存在すら知らなかったけれど探してみると結構あちこちにあるのであります。児童館とは自治体や区がやっている子どもを野放しにできる室内のスペース、たくさんのオモチャや絵本、遊具があったりして、雨でもいけるし、全体を見ててくれる保育士さんなどもいて、とても助かるのであります。
しかし生活の中に欠かせない公園も児童館も当然、他の赤ちゃんや子どもたちがたくさんいます。(関係ないけれど、これも子どもを持ってる人には何故か暗黙のルールとしてまかり通っているけれど、たとえ初対面でも、今後二度と会うことがなくても、他の子どもは全員最初から「おともだち」と呼ぶことになっています。年齢によって「大きいお友達」「小さいお友達」などのバリエーションあり。私はこれになかなか慣れない...)
ピノも同月齢の子たちといると楽しそうでそれはいいのですが、最近のピノのジャイアンっぷりはすごく「これが欲しい!」となったときにそれがもらえないとすぐにかんしゃくを起こします。とにかく「おともだちが遊んでいるオモチャが自分のより面白そうだ」という思考回路で動いているので、人の子が遊んでいるもの、読んでいる絵本ばかりを欲しがり、積極的に奪いにいくので取り合いみたいなことばっかり起きるのです。当然最初から遊んでいる子のを奪いにいくピノが悪いという体裁になってしまうので、私は最近公園でも児童館でも「わああ、すみませんすみません」と謝ってばかりです。笑 ピノは結構力が強いし体も大きいので髪の毛引っ張ったりして、だいたい奪われる子の方が泣くことになってしまって。そして、奪ったくせに手に入ったらあっさり興味をなくし、今度はまた別の子が遊んでいる別のオモチャがすぐに欲しくなり、そして突進...という繰り返しが延々と。ピノが疲れて寝てくれるのはいいのですが、もれなく母もぐったりする児童館。寝てるだけの時はそれはそれで大変だったはずなんだけれど、こうなってくるとまた大変さのジャンルも変化してゆくものですね。
でも当然ピノに悪気はないわけで、私も一応形だけダメでしょーと言うけれども、まあ仕方ないこと。自由な野生動物をボーダーだけは超えない範囲でのんきに観察するしかないのです。人が遊んでいるものが、キラキラして見えるんだろうなあ。「自分のもの」と「他人のもの」の区別がついていない、つまりは「自分」と「他人」の区別がついてないんだろうなあと思います。
そう考えていて、ふと思い立つ。わたし、と、あなた、の境界線がない、それこそがつまり合一(ユニティ)の精神では?!二元の対立ばかりのこの世界から、分離した個人の存在しないという覚醒した世界に生きているのでは?
新生児を見ているとよくわかる。大きな意識、宇宙と一体になっていて、まだそこに「個」はない。人にどう思われるとか、自分はこうなりたいとかもない。ただただ、海みたいに存在してる。そして泣きたいときに泣いて、食べたいときに食べて、出したいときに出して、眠りたいだけ眠って、とにかく自由だ。
でも成長していくにつれて「自分」を認識する。こうしちゃいけない、こう思われたら恥ずかしい、社会意識みたいなものの中でちょっとずつ窮屈になっていく。でも、それはそうだ。この世界で大人になって泣きたいときに泣いて出したいときに出してたら大変だ!
赤ちゃんは実は一番「悟り」「覚醒している」状態に近い存在らしい。だとしたら、成長するって、大人になるって、一体どういうことなんだろうな。
私は、あなた。
あなたは、私。
あなたのものは、私のもの。
私のものは、私のもの。
そうしてもう一度見てみると、ちょっと悟った存在に見えるのでは?!

え、強引?