
6ヶ月過ぎる頃、いろんな人に「そろそろ免疫も切れるしすぐ熱出したり病気になるよ」と言われた。しかしピノは6ヶ月過ぎても風邪ひとつひくことなく熱を出すこともなかった。成長も常に成長曲線の真ん中。だから私は健康優良児の親孝行なことよ!この子は体が強いんだ!と勝手に思ってのん気に構えていた。
そしたら1歳前後くらいから、どーんと一気にいろいろやってきた!
貯金してたみたいに!
動き回るようになったからか、更にいろいろな場所にいくようになったせいか、最近何かと心配オンパレード。突如シーツが染まるほどの鼻血を出したり、くしゃみや鼻水や咳がとまらなくなったり、高熱を出したり、ヘルパンギーナになったり、熱がやっと下がったと思ったら下痢になってそれが続くし、それがやっと治ったと思ったら虫に刺されて過剰反応して真っ赤に腫れあがるし、それもおさまってきて病院通いが一段落したと思ったら、今日はすってんころりんと派手に転んで後頭部を強打。倒れていくピノがスローモーションに見えました...。幸い様子を見ていても大丈夫そうなのですが、本当にここしばらくひとつ終わったらまた次、という感じで心配事がやってきて、なにそれ、リレー?リレーしてるの?という感じです。
これまでわりと平和だった分、何かあるたびにハラハラしたりドキドキしたり病院に飛んでいったり、母は何かと消耗。そもそも私は考えすぎ&心配性で有名?なのです...。ころぶ系は横にいたのになんで食い止められなかったんだと、自己嫌悪が止まらなくなる。
きっとこれはどの子にも起きることで、赤子が成長していく上で必要な過程で、母はみなこの時期次から次へと渡される心配事バトンをどうにかするのにみんな精一杯になるんだろう、それがやっとわかりました。わかったからといって心配が減るわけではないのだけれども。
病気したり怪我したり、痛い思いをすることで免疫は作られ、子どもは注意深く強くなっていく。修行だ!でもそれは子どもにとってだけの修行じゃなくて、母にとっても同じく強くなるための修行。オロオロしてしまうことがあっても、自分を責めることがあっても、起きることは起きることだし、100%全てを防ぐことは、不可能。新生児の頃のようにべったり一緒にいる事はもうない。どれだけ気をつけていても24時間のうち1秒も「目を離さない」ことは不可能。でも1秒あれば、何だっておきてしまうし、集団生活に加わっていけば病気だってもっとするだろうし、大きくなるにつれ、離れている時間はますます増えるわけで。
心配事の種って、虫歯みたい。可能性は常に隠れていて、心配は一生なくなることはなく、できることは日々の地道なケアだけ。努力と意識で防げる部分もかなりあるけど、それでも、なるときはなる。
心配事の種は年代によって質が変わるだけで子どもが大きくなったらなくなるわけではなくて、親であり子である以上一生あり続ける。つまり私だって両親から今もきっと心配してもらってるんだなあ。子育てで何かがある度、自分もそうやって育ててもらったんだ、という原点の感謝に立ち戻れます。
心拍数がおかしくなるくらい心配することがあったり、動転して見なけりゃいいのにネット見ちゃってますます不安になることがあったり。このリレー、子育てをしてる以上続くんだろうけれど。ある程度どん!と構えて見守って、守れるところは最大限守り気をつけられるところには最大限注意を払い、でもその先はその子自身の力と運命を信じていたいと思う。
心配バトンがひとつ去り、穏やかな寝顔を見る度、ああ良かった、元気で生きていてくれてよかった、って祈りたい気持ちになる。最近の自己主張の激しさについキーってなってしまうことがあっても、あの生まれたときと変わらない透明な寝顔を見ていると、全部がふわって溶けていく。そして、どんなことがあってもこの気持ちを忘れてしまってはいけないと思う。
元気で大きくなってね。
君なら大丈夫だ!強運な気がするよ!
これまでわりと平和だった分、何かあるたびにハラハラしたりドキドキしたり病院に飛んでいったり、母は何かと消耗。そもそも私は考えすぎ&心配性で有名?なのです...。ころぶ系は横にいたのになんで食い止められなかったんだと、自己嫌悪が止まらなくなる。
きっとこれはどの子にも起きることで、赤子が成長していく上で必要な過程で、母はみなこの時期次から次へと渡される心配事バトンをどうにかするのにみんな精一杯になるんだろう、それがやっとわかりました。わかったからといって心配が減るわけではないのだけれども。
病気したり怪我したり、痛い思いをすることで免疫は作られ、子どもは注意深く強くなっていく。修行だ!でもそれは子どもにとってだけの修行じゃなくて、母にとっても同じく強くなるための修行。オロオロしてしまうことがあっても、自分を責めることがあっても、起きることは起きることだし、100%全てを防ぐことは、不可能。新生児の頃のようにべったり一緒にいる事はもうない。どれだけ気をつけていても24時間のうち1秒も「目を離さない」ことは不可能。でも1秒あれば、何だっておきてしまうし、集団生活に加わっていけば病気だってもっとするだろうし、大きくなるにつれ、離れている時間はますます増えるわけで。
心配事の種って、虫歯みたい。可能性は常に隠れていて、心配は一生なくなることはなく、できることは日々の地道なケアだけ。努力と意識で防げる部分もかなりあるけど、それでも、なるときはなる。
心配事の種は年代によって質が変わるだけで子どもが大きくなったらなくなるわけではなくて、親であり子である以上一生あり続ける。つまり私だって両親から今もきっと心配してもらってるんだなあ。子育てで何かがある度、自分もそうやって育ててもらったんだ、という原点の感謝に立ち戻れます。
心拍数がおかしくなるくらい心配することがあったり、動転して見なけりゃいいのにネット見ちゃってますます不安になることがあったり。このリレー、子育てをしてる以上続くんだろうけれど。ある程度どん!と構えて見守って、守れるところは最大限守り気をつけられるところには最大限注意を払い、でもその先はその子自身の力と運命を信じていたいと思う。
心配バトンがひとつ去り、穏やかな寝顔を見る度、ああ良かった、元気で生きていてくれてよかった、って祈りたい気持ちになる。最近の自己主張の激しさについキーってなってしまうことがあっても、あの生まれたときと変わらない透明な寝顔を見ていると、全部がふわって溶けていく。そして、どんなことがあってもこの気持ちを忘れてしまってはいけないと思う。
元気で大きくなってね。
君なら大丈夫だ!強運な気がするよ!