ロックダウン60日目の5月31日、そして解放の61日目、6月1日!
これにてカウントするのは一旦終わりにします。この60日間の私の愚痴ばかりの投稿にお付き合いくださりありがとうございました。気持ちがふさいでも、思考をまとめられる場所があること、温かいコメントにいつも救われていました。
4月1日に後ろから殴られる勢いで無理やり眠らされた上海は、6月1日には「おい!起きろ!」とほっぺた叩かれてこれまた唐突に、極めて雑に起こされた感じ。
6月1日の0時前後に窓の外からはニューイヤー以上の盛大なカウントダウンが聴こえて、解放を喜ぶ人々が音楽を鳴らし、雄叫びを上げ続けて、早速警察が出動していた。
深夜まで本当にうるさかったけれど、人間絶滅したかなっていうくらい無音で無人だった2ヶ月に比べたら、外がうるさいことさえ嬉しいと思えた。
今日街に出てみると、何事もなかったかように車が走り、まだ店内飲食は禁止されているけれど、八百屋さんや、エステや、お店のシャッターも上がっていて、ロックダウン前の賑わいを取り戻している。街を歩く人たちもみんな嬉しそうだ。
なんだったんだろう。
振り返ってみると「大変」「辛い」というよりも「異様」という言葉がぴったりの2ヶ月でした。そしてどんな異様さにも、人は慣れてしまう、ということを学びました。
60日間で受けたPCR検査24回。抗原検査28回。
解放後のこれからも、2日に1日のPCRを受け続けないと、病院にも行けないし電車にも乗れない。入る場所、スーパー、お友達の家、全ての入り口で「場所コード」のスキャンが必然となり、どの人が何日何時にどこに行ったか、全て記録される。そして一人でも区域内に陽性が出たら、また閉じ込められる。そんな注釈だらけの、制限付きの自由です。それもきっとだんだん全て「当たり前」になっていって、何事もなかったかように日常生活になっていくのかな。
この2ヶ月で感じたいろいろな事を、忘れないでいようと思う。頑張った、乗り越えた、という美談で思い出にするにはあまりにもいろいろあった。希少な体験であった、ということには間違いないけれど、実際もう二度と嫌である。
本当に食べ物がない、飢えるかも、と思った4月。食材を手に入れるために、必死で1日スマホを見ていたこと。外に出られて大喜びしていたら、数時間後にまた閉じ込められて絶望したこと。5月には物流が安定して飢える心配はなくなったけれど、変に慣れてしまった分いつまで続くのかと先が見えなくて、また落ち込んだこと。
光もあった。
名前も知らない同じマンションの人が、トイレットペーパーや油や塩を分けてくれたこと。友達と日々情報交換し合い、助けられ、不確定な情報に一喜一憂しながら一緒に頑張ったこと。このロックダウンがなかったら繋がらなかった人たちと繋がれたり、上海ステイホームプロジェクトのイベントにも参加できたこと。子供達は縄跳びとバドミントンが上手になったこと。自分にとっての大切なものの輪郭がよりくっきりしたこと。
あとは何より!これまでの人生で一番自炊しました😂台所に居続けた!お菓子も作った、パンもピザも焼いた、料理のスキルというよりサバイバル能力だけはあがっただろうか。内臓つまった丸鶏、タチウオ、茎レタス、その他よくわからない中華食材たち。バナナ60本、卵90個、とんでもない量で届く食材たちをどう消費するか考え、日々チンゲンサイと格闘していた。チンゲンサイ一生分食べたからもう自分では買わないと思う。
元から食材を貯めたくない、冷蔵庫はその日使うものだけ入れて、使い切りたい私には何かがいっぱいある、という状態がそもそもストレスでした。冷蔵庫も冷凍庫もギッシリだと、はやく使わなくては、という強迫観念にかられるので、
手に入れる大変さももちろん、欲しいものが欲しい量で買えないのが一番辛かったな。
近所は解放されているけれど、中リスクエリアに分類されてる地域はまだロックダウン中。家の外に出られない人もまだ
十万人単位でいる。願わくば全ての地域が一刻もはやく元にもどり、頬を叩かれておきた上海が、このまま力を取り戻して前に向かって走り出せますように。
それにしても本当に足腰が弱ったし、スマホの見過ぎで老眼も進んだし、体力が落ちてしまったと思う。ちょっと外を歩いただけで、すごーーく疲れてしまう。
まずは筋トレでもしないと。
子供達もみんな頑張りました。昼はロックダウン終了記念?弁当。仲良しと再会して、外で食べたアイス、沁みた…!
早く美味しいお寿司食べたい…。
そして会えなかった友達と乾杯したいです。
上海の皆様、これからのことはわかりませんが、まずは本当にお疲れ様でした!
これにてカウントするのは一旦終わりにします。この60日間の私の愚痴ばかりの投稿にお付き合いくださりありがとうございました。気持ちがふさいでも、思考をまとめられる場所があること、温かいコメントにいつも救われていました。
4月1日に後ろから殴られる勢いで無理やり眠らされた上海は、6月1日には「おい!起きろ!」とほっぺた叩かれてこれまた唐突に、極めて雑に起こされた感じ。
6月1日の0時前後に窓の外からはニューイヤー以上の盛大なカウントダウンが聴こえて、解放を喜ぶ人々が音楽を鳴らし、雄叫びを上げ続けて、早速警察が出動していた。
深夜まで本当にうるさかったけれど、人間絶滅したかなっていうくらい無音で無人だった2ヶ月に比べたら、外がうるさいことさえ嬉しいと思えた。
今日街に出てみると、何事もなかったかように車が走り、まだ店内飲食は禁止されているけれど、八百屋さんや、エステや、お店のシャッターも上がっていて、ロックダウン前の賑わいを取り戻している。街を歩く人たちもみんな嬉しそうだ。
なんだったんだろう。
振り返ってみると「大変」「辛い」というよりも「異様」という言葉がぴったりの2ヶ月でした。そしてどんな異様さにも、人は慣れてしまう、ということを学びました。
60日間で受けたPCR検査24回。抗原検査28回。
解放後のこれからも、2日に1日のPCRを受け続けないと、病院にも行けないし電車にも乗れない。入る場所、スーパー、お友達の家、全ての入り口で「場所コード」のスキャンが必然となり、どの人が何日何時にどこに行ったか、全て記録される。そして一人でも区域内に陽性が出たら、また閉じ込められる。そんな注釈だらけの、制限付きの自由です。それもきっとだんだん全て「当たり前」になっていって、何事もなかったかように日常生活になっていくのかな。
この2ヶ月で感じたいろいろな事を、忘れないでいようと思う。頑張った、乗り越えた、という美談で思い出にするにはあまりにもいろいろあった。希少な体験であった、ということには間違いないけれど、実際もう二度と嫌である。
本当に食べ物がない、飢えるかも、と思った4月。食材を手に入れるために、必死で1日スマホを見ていたこと。外に出られて大喜びしていたら、数時間後にまた閉じ込められて絶望したこと。5月には物流が安定して飢える心配はなくなったけれど、変に慣れてしまった分いつまで続くのかと先が見えなくて、また落ち込んだこと。
光もあった。
名前も知らない同じマンションの人が、トイレットペーパーや油や塩を分けてくれたこと。友達と日々情報交換し合い、助けられ、不確定な情報に一喜一憂しながら一緒に頑張ったこと。このロックダウンがなかったら繋がらなかった人たちと繋がれたり、上海ステイホームプロジェクトのイベントにも参加できたこと。子供達は縄跳びとバドミントンが上手になったこと。自分にとっての大切なものの輪郭がよりくっきりしたこと。
あとは何より!これまでの人生で一番自炊しました😂台所に居続けた!お菓子も作った、パンもピザも焼いた、料理のスキルというよりサバイバル能力だけはあがっただろうか。内臓つまった丸鶏、タチウオ、茎レタス、その他よくわからない中華食材たち。バナナ60本、卵90個、とんでもない量で届く食材たちをどう消費するか考え、日々チンゲンサイと格闘していた。チンゲンサイ一生分食べたからもう自分では買わないと思う。
元から食材を貯めたくない、冷蔵庫はその日使うものだけ入れて、使い切りたい私には何かがいっぱいある、という状態がそもそもストレスでした。冷蔵庫も冷凍庫もギッシリだと、はやく使わなくては、という強迫観念にかられるので、
手に入れる大変さももちろん、欲しいものが欲しい量で買えないのが一番辛かったな。
近所は解放されているけれど、中リスクエリアに分類されてる地域はまだロックダウン中。家の外に出られない人もまだ
十万人単位でいる。願わくば全ての地域が一刻もはやく元にもどり、頬を叩かれておきた上海が、このまま力を取り戻して前に向かって走り出せますように。
それにしても本当に足腰が弱ったし、スマホの見過ぎで老眼も進んだし、体力が落ちてしまったと思う。ちょっと外を歩いただけで、すごーーく疲れてしまう。
まずは筋トレでもしないと。
子供達もみんな頑張りました。昼はロックダウン終了記念?弁当。仲良しと再会して、外で食べたアイス、沁みた…!
早く美味しいお寿司食べたい…。
そして会えなかった友達と乾杯したいです。
上海の皆様、これからのことはわかりませんが、まずは本当にお疲れ様でした!