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6月初旬には小学校の運動会。最後に開催されたのは2019年、実に4年ぶりの「普通の」運動会。

お天気が良くて、良すぎて、1日中炎天下。雨での延期が嫌だったから晴れを願ったものの、「あの、太陽さんちょっとそんなに本気を出して頂かなくても…」と思わざるを得ない灼熱運動会。そんな中で練習してきたことを目一杯頑張って披露する娘たち、子供たち先生たちみんな。

長女が小学校に入学する年に始まったコロナ禍。全国一斉休校から始まって、入学した次の日から学校に行けない毎日。子供たちの初めての小学校生活は私の知っている「普通」とは程遠いものだった。更にそこからゼロコロナ政策真っ只中の上海に来たために、日々はますます極端になった。

本来開催されるはずのイベントは、ほとんど「現在の状況を鑑みて」中止。そんな中かろうじてこれだけは、と企画されていたイベントも、だいたい直前になって「濃厚接触者の濃厚接触者」が出た等の理由で中止。遠足中止、授業参観中止、餅つき中止、プール中止、夏祭り中止、クリスマス会中止。上海市内から出たら、2週間登校できないし、どこかに出かけるのは突然封鎖されるリスクと常に隣り合わせ。何かがあればすぐにオンライン授業に切り替え、その間に予定されていたイベント問答無用で全部中止。次女の卒園式も開催前日にオンラインになった。挙句のあのロックダウンである。

何かがなくなるたび、仕方ないことだった、どうしようもなかった、練習が無駄になるわけじゃないし、先生たちも精一杯頑ってくれたんだし、と思うしかなく、子供たちも「しょうがない」とその都度自分を納得させようとしてきて。でもあまりにあんまりだった。「楽しみが直前でなくなる」ことが続きすぎて、長女は何か楽しい予定が入っても「どうせまたなくなって、がっかりするのは悲しいから、楽しみにしないようにする」と言うようになってしまっていた。その気持ちが痛いほどわかる。私だって一緒だったから。ひとつひとつがそこまで大袈裟なことじゃなかったとしても、何かが少しずつ削られて、奪われていった。中国にいる子供達、きっとみんな同じだった。◯年生は、常に一生でその1年しかないのに。

今年に入ってやっとゼロコロナが緩和されて、少しずつ移動の自由が戻ってきた。陽性になって、突然連行される恐怖に怯えなくてよくなったし、店に入るたびにQRコードをスキャンする必要も、2日に1回PCRをする必要もなくなった。気軽に一時帰国や旅行の話ができるようになった。

やっと、やっと、やっと…!である。

みんなが、3年間心の底から待ち望んでいた日常が戻ってきつつあることに歓喜し、それなのに喜んでスタートダッシュを切ろうとする心を、頭が押し留める。通常通りの開催と予告された運動会でさえ、子供たちが日々練習するのを見ていてもまだ、「何か起きてまた中止になったら」と無意識に予防線を張る悲しいクセが消えなかった。

だからこそ、今日暑かったけど、死ぬほど暑かったけど。青空の下、顔真っ赤しながらも、みんなギュウギュウの笑顔ではしゃいで、密も密になって、練習してきたことを全力で表現して、マスクなしの大歓声が飛び交って(そもそも今日の気温でマスクしてたらみんな倒れる…)運動会が盛り上がってる姿をみたら、本当に「あの日々はもう終わったんだな」と思えて、上海来てからの日々が全部蘇ってきて涙腺ダムが決壊しっぱなしでした。これまでで1番嬉しい日だったかもしれない。

どの学年のどの競技も、表現のダンスも、みんな一生懸命で本当に素晴らしかった。全部全部。キラッキラにツヤッツヤに輝いて弾けてた。

ずっとよく頑張ってきた。我慢もいっぱいしてきたね。大きなイベントのためにみんなで準備して、練習して、そしてそれがちゃんとした形で実現したのってこっち来て初めてだね。お友達と1m以上離れなさいって言われるのも、集まっちゃだめって言われるのも、イベントが悉く中止になるのも、無言でごはん食べなくちゃいけないのもずっとつまんなかったよね。みんなでレジャーシート広げて、お弁当食べるの、やってみたかったんだよね。

これからは目一杯、楽しみなことを楽しみだ!!って思える世界であれ。

とにかく水分をとってもとっても、おばちゃんはもうずっと目から放出しちょったですよ。

最高の運動会でした。

そして私が今日一笑った瞬間は、競技から戻ってきた小学四年生男子が観覧席に戻って水をグビグビ飲むなり

「キンキンに冷えてやがるっ・・・!」

って言った時です。
顔見えなかったけど、多分藤原竜也。
あまりに正しい引用すぎて。

小4でいいセンスしてやがる。