いろいろな人たちが、人生について語るとき、
それは一見確信と自信に基づいているように見える。けれど誰だって、自分の人生をひっくり返されるわけにはいかないから、どうしたって保守的にならざるを得ない。私もそうだ。
年を重ねるほど、そうなると思う。それは全然悪いことでもない。自分の人生から、人生を語るのは当たり前のことだ。哲学だってそう。
ただ私が思うのは、どれだけ何かが力を持っている言葉のように思えても
決して絶対的なものではありえない、ということ。それが、無宗教という事かもしれない。
長く生きている人の言っている事が正しいかといえばそうではないし、それはその人が歩いた道筋から得たことで同じ道でも違う人が歩けば全く違う事を考える。
体験してない事については何も語れない。
でも誰も生きている間に「全て」を体験できるわけじゃないし
「全て」に出会えるわけじゃないし
「全て」の場所に住めるわけじゃない。
「全て」のうち、自分の体験したほんのちょっぴりの部分からいろんな事を考えて、それを紡いで、なんとなく自分の人生の手摺にしたりする。そしてそれをたまに、まるで確信があるみたいに、人に話してみたりする。
何がいいたかったのかというと例えば自信をなくしている時なんて、周りの人はみんなとても確信をもって堂々と生きているように見えて自分が取り残されているように思えたりするものだけど生きることに全く不安じゃない人なんて、いないんだ。大人も、子供も。
生きていると何回も扉がたくさんある場所につく。扉を開けると道があって、しばらく進むとまた扉がある。いくつもの道の中から選べるのは1つだけだけど、その時選ばなかった他の道やその先にあるもののことを少しも考えない人はきっといない。
時間が経てば経つほど、「もしかしたらありえたかもしれない人生」の数は減っていくのは、当たり前。だから分かれ道につきあたったら、本当に自分の頭で考えなければいけない。私はまだ自分の人生に何の確信もないけれど
とりあえず目の前にある扉は、開けないといけない。たどりついた場所がべストだったと思えるためには、まず全力で生きなければな。「運命」って結局全力で考えて扉を開けていく事なんじゃないかな。手をぬいたらきっと後悔する。
いまさらながらミスチルの「誰の真似もすんな 君は君でいい 生きる為のレシピなんてない」というのは良い言葉だな、と思いました。最後に急にミーハ-。