img20050627.jpg今日、私はこのことについて初めて、ちゃんと書きたいと思った。
1年に1度、私たちは必ずあの踏切に行く。
ちょうど6年前のこの日私達は仲間をひとり、目と鼻の先で亡くした。
彼は踏切の中で酔っ払っていた男性を助けるために下がっている遮断機を越え、そのまま一緒に電車にひかれてしまった。

遠くに住んでいるやつも、やってくる。普段忙しくてほとんど会えないやつも、やってくる。
卒業以来、いろいろな事が変わったけれど この日だけは変わらず集まる。
そうしていろいろな事について話す。
踏切に立って、普段しないような夢や将来の話を真面目にしたりする。

それももう、今日で6回目だ。6年が経って、私はもう25歳になった。
6年間。何もかもが変わってしまったようでもあるし
何も変わっていないようにも思える。
けれど彼はいつまでたっても18歳のままで、いつの間にか随分と年上になった。
私が30歳になっても、50歳になっても 彼はずっと18歳だ。

1年ごとにいろいろな事が変わっている。
会社に入ったり 会社を辞めたり 
うまくいっていたり いっていなかったり
彼女がいたり いなかったりする

それでも変わらず、私達は集まる。
そうして、いろいろな話をする。

これからも毎年、いろいろな事が変わっていく。
誰かが結婚したりするだろうし
親になったりもするだろうし
会社で偉くなっている人もいるかもしれないし
今からは想像もつかないような生活を送っているかもしれない

それでも変わらず、私達は集まる。
そうして、いろいろな話をする。

彼がこの世からいなくなっていなかったら 
残された私達はこんな風な関係になっていただろうか
卒業して、全然別のことをしていても、ずっと結びついていられただろうか。とよく考える。
その日一緒にいた友人たち、南極を旅するペンギンの家族みたいに
ぎゅっと丸まって身を寄せ合って過ごした仲間たちが、私にとって今
こんなにもかけがえのない存在になっている。
例えば頻繁に会わなくなったって、何も変わらない。そう自信がもてる。

6年が経って 私たちは何かを都合よく解釈しようとしているのかもしれない。
自分たちの好きなように ひとつの事実を勝手にこねくりまわして 
楽になろうとしてるだけかもしれない。
けれど喪失は、突然心に押しかけてくる居候みたいなもので
出ていって欲しくても既に居ついてしまった居候に対して
私たちはそれぞれ、折り合いをつけようと向き合うしかない。
その向き合い方は一人一人違って 
だんだんと自分の部屋にいるそいつと暮らしていくことを受け入れる。
だから、きっとそれでいいんだ。
去年のこの日、私はそのことを刺青みたいだと書いたけれど。
死は死んでゆく人のためのものではなく、残された人のためのものだ。
誰がいなくなったってそうだし、私がいなくなったってそうだ。

私達は 彼のために集まると同時に 自分たちのために集まっている。
その1年に起きたことを話し、昔のことを笑いあう為に。
彼について語り合うと同時に、自分たちの「変わらない何か」を確認するために。
何回忌、と言ったりするけれど、回忌は回帰なのかもしれない。

何がおきるかなんて誰にもわからない。
明日私がこうして存在しているかどうかだってわからない。
あの時、あの踏切で酔っ払った男性を見つけるのは
等しい確率で私だったかもしれないんだ。
そうだったとしたら私はどうしただろう?
自分の危険も省みず、人生も夢も全て賭けて
見ず知らずの人間のために、目の前の遮断機を超えられたか?
その問いは常に私についてまわっていて
物事に迷ったとき 何かに迷ったとき いつでも目の前にあの踏切が現れる。
その一歩が踏み出せるかどうか、考える。
彼だったらどうしたかどうか、考える。
彼はいつでも私の手の届かない高みを歩いている。
私はちょっとでも成長できているんだろうか。
彼に誇れるような生き方が出来ているだろうか。

6月の踏切に私達は回帰する。
もしかしたら 踏切の前で私の足はすくんでしまって動かないのかもしれないけれど
がんばるから、見守っててねなんて言わないから
一歩だって百歩だって、走って、そこまでいくから待ってて。

自信がないなんて甘い事を言っている暇はない。
彼に胸をはれないような事はしない。
私は、私に出来ることをする。
だって私は今生きているし、
人生は1度しかない。