img20061124.jpg法事があり、家族で大阪に行きました。久しぶりに親戚や従兄弟たち、幼馴染たちと会うことが出来、自分のルーツを再認識することが出来、とても意味のある時間を過ごすことが出来たなあ、と思います。私自身は神奈川生まれ神奈川育ちですが、父方の親戚一同は全員関西なので あまり頻繁に訪れたことがなくとも どこか落ち着く空気です。
縁のお寺でお経を聞いている時、ふと横をみたら素敵な言葉が書かれているのが目にとまりました。確かこんな感じ。

「ともに生き、ともに往き、ともにあう」

とても心に響いた。人は誰でも年を取り やがてはこの世をさるけれど そんな中でともに生きて、ともに往く ともがいるからこそ 人は生きていくことができる。と、違うのかもしれないけれど、勝手にそんな風に解釈しました。
そして2日目は妹と幼馴染と共に紅葉まっさかりの京都・天龍寺へ。びっくりするくらいの人の多さでしたが、それ以上に息をのむほどの色づいた山々の美しさ。赤、オレンジ、黄色・・・そして赤といってもいろいろな赤があって、深い赤、明るい赤、鮮やかな赤、とグラデーションになっている無数の暖色が風景を彩っている。そしてその中に佇む天龍寺。初めていったお寺だったけれど、とにかくひたすらに惹きつけられる空間でした。
今は紅葉が美しいけれど 冬になって葉が落ちて 雪が積もった冬のこの場所も見てみたい。
雪が溶けて、境内の枝垂桜が咲き乱れるであろう春のこの場所も見てみたい。
生命の歓喜の唄が聴こえてきそうな夏のこの場所も見てみたい。
西洋の教会とは全く違う、自然と調和し(むしろ自然を愛でることを目的に)景観と情緒を何より重んじて作られるお寺という空間がとても好きです。
世界一周してきたけれど こんな赴きを感じられる国はやっぱり日本だけなんではないかと思う。それは単純に四季があるという気候の問題だけではなくて、日本人の美意識と感受性によるもので、きっとそれはずっと昔から、足利尊氏が1339年にこの天龍寺を建てたときよりももっと前から、共有されているものなんであろうと考えると、こういう時に、月並みな言い方だけれど ああ、日本に生まれてよかったなあ、と素直に思う。
おいしい湯豆腐も食べ、たこ焼きもお好み焼きも食べ、グッズを置いて頂いている雑貨屋さん、alphabetさんにもゆくことが出来、会いたい人たちとも会えて京都がまた一段と好きになりました。

最後に、天龍寺の入り口を入ったところにドーーン!とある達磨の絵。
すごいとしかいいようがない存在感。
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