
相変わらずの謎の忙しさです。目の前にあるものを必死で片付けているのに、一校に減らない。あとからあとから降り積もってくる、こんな状態を村上春樹は小説の中で「文化的雪かき」と表現しておりましたが、私のはきっとそんな高尚なものではなくて、なんだろうなあ、と思ってたんですが、これは「ぷよぷよ」(既に古いのか??)を一人で遊んでいる感じに似ている!!落ちてくるぷよを消しながら、たまに頑張って5連鎖とかしてあとちょっとで消えるってとこまで行くんだけど、そこでまた「おじゃまぷよ」がどーんと落ちてくるんです・・・。低レベルすぎる例えですみません。
そんな日々ながら、前々から楽しみにしていた予定だったので、時間をやりくりこねくりしてワタクシ先日人生で初めての「船釣り」を茅ヶ崎でやってまいりました。ものすごい体験だった・・。今日はそんな事を長々と書きたいと思います。
そもそも集合時間が午前3時で、私は前日12時まで飲みの席におり、あれやこれや用意していたらあっという間に2時過ぎになって、ほぼ一睡も出来ず。寝てない、飲みの次の日、寒い、更に初の船釣りってところで、不安要素がいっぱいです。それでも茅ヶ崎について船「まごうの丸」が出航して、こんな美しい朝焼けを船の中から写真に撮っている時はまだ余裕がある証拠でした・・。

美しい富士山が船から見えて、悦に入っている時にその「波」はやってきました。ご一緒させていただいた釣りのベテランの方も「こりゃやばいねえ」とつぶやくほどの波の高さ!!結果的に船はもんのすごく上下に揺れまくって、まっすぐ立っているのも難しいほど。ただでさえ揺れに耐えるだけで精一杯なのに、その状態で釣りをするための仕掛けを作ったり、針にオキアミをひっかけたりとか、そういう手元でする細かい作業をやらなくてはいけなくて、案の定死にそうになりました・・・。
もう顔面蒼白。押し寄せる実際の波と気持ち悪さの波、ダブルのビッグウェーブと戦いながらの最初の1時間ほど。周りが釣り始めても、私はともかく動くことが出来なくて、じっと横たわっているしか出来ませんでした。眠さもあいまって、まさに悪夢ような時間。
ここからの8時間、私は船上の人だったのですが、いろいろありました。いちいち書いていると長くなるので割愛しますが、結果的には太陽が昇ってきたあたりから私は思いっきり回復し、存分に釣りを楽しむことが出来たのです。良かった・・。そして、思いっきり素人なので糸が絡まりまくったり、釣れた魚に逃げられたり、大変だったけれど楽しかったです。

「こませ」という、魚をおびきよせるためのえさ。これを仕掛けに使います。シャリシャリしておいしそうでした。仕掛けを作る、オキアミを付ける、たらす、待つ、かかったら引っ張る、というきわめてプリミティブな、でも集中力が要求される作業。すごい精神が研ぎ澄まされて、経験が少ない私は全て直感で棚(糸をたらす深さ)を決めて、待つ、待つ、待つ。待ってもつれない時もあるし、エサだけ取られたり、自然との格闘。そして、あの「ぴくぴくーっ!!!」って糸から振動が伝わってくる瞬間!!相当興奮します。グイグイと泳いでいる魚の様子がわかって、慎重に、でも急いでリールをまくと海のそこからキラキラ光る魚の背中が。そして、それを手元まで引き寄せた時のあの喜び。私が人生最初に釣った魚は「アジ」でした。やったー!と必要以上に喜びました。その時だけ気分はハンター。
ビギナーズラックだからか、結構たくさん釣る事が出来て、結果的に私はアジを3匹、カツオ4匹(大きなカツオを一気に2匹吊り上げた時が、この日の私のハイライトでした!)あとイサキを1匹、計8匹も釣ることが出来たのです。

カツオを釣った私。大きいでしょ?!

本日とれた魚たち(ホウボウ、ウマヅラハギなんてのもいます)。イシダイやカワハギは釣ることが出来ませんでしたが、結局一緒に行った友たちと合わせて初心者組は計30匹以上も釣ったのです。かなりの収穫。

乗った船はこんな感じの漁船。女子は本当に少なくて、そもそも釣りの代金が女であるというだけで3000円引きで、お得な感じがしました。圧倒的に男性がやるものなんだなあ。
それで、この釣り体験、ただ「楽しかった」以上のインパクトを私にもたらしました。釣りが楽しくなってきて、どんどん釣れろー!って思って調子に乗っていた時に、隣の友人が「こんなに釣れたら食べきれないなあ」ってぽつっと言ったのです。その時に、ガツンとハンマーで殴られたみたいな感じがしました。そう、釣れすぎたって食べきれない。私たちは何のために釣りをしているのかと言ったら今晩美味しいご飯を食べるためで、それ以上の魚は釣っても無駄になってしまうのです。そんな事も分からずじゃんじゃん釣りたいと思っていた自分が急に間違ってるみたいに思えた。で、不思議な事にそう思ってからは1匹も釣れなかった。
それからもうひとつ。つれたカツオは暴れるので、船の上でエラにナイフを刺して、血抜きをしておとなしくさせなければいけないのですが、「はい」とナイフを渡された時にはっと気づきました。お恥ずかしい事に、私はこれまでの人生に置いて、一度も自分の手で生き物を殺して、そして食べた事がなかった。ただの一度も。生きている状態を見て、そして誰かが調理してくれて、「今まで生きてました」みたいな生き物を食べた事はもちろんある。それでも、自分の手でとどめをさした事は一度もなかった。
「やってあげようか」といわれたけれど、自分でやらなければいけないと思って、ナイフを持って、びちびち動いているカツオのエラのところを刺してみた。でも恐る恐るだったから余計にカツオが暴れて、苦しそうだった。もっと思いっきりやればよかったのに。泣きたくなって、一気に刃を奥まで押し込んだらすぐに動かなくなった。血がいっぱい流れた。
生き物を食べるってこういうことなんだな、って思った。
分かっていて当たり前の事なのに、頭では分かっていたつもりだったのに、全然わかってなかった私です。このカツオの命が私のためになくなったんだな、って思ったらすごい感謝の気持ちでいっぱいになって、そういう気持ちは結局のところスーパーで並んでいる食材に対して持つことは難しい。たまたまその日の朝何も考えず買ったおにぎりが「ツナ」だったのだけど、その後そのおにぎりを食べながら同じ魚であるはずなのに、さっき私がナイフで刺した魚と、このおにぎりの中に入っている魚はなんて違うんだろう、って思いました。同じなんだけど、違う。
うん、甘いですね、きっと。こんな風に思うのは。でもこれまでの人生で誰かが殺してくれたものしか食べてなかった甘い甘い私にとってはこの出来事はとても大きかった。普通に生きてて蟻だって踏んでいるだろうし、ゴキブリだって積極的に殺してるし、そんな事分かってるんだけど、「食べるために何かを自分の意思で殺す」のはきっとまた全然違う種類の感情なのです。
食べることは、自分じゃない命をもらって自分のものにすること。
正しいも悪いも、ない。仮にいつか、地球の外から人間を食べる宇宙人がやってきたとして、私たちが彼らの主な栄養源になるという事態が起きるとして、でもそれはそれで仕方のないことだし、否定も出来ないし、どうしようもない。食べるってそういうことだ。
でも、自分で獲った命はちゃんと責任を持って引き受けよう。願わくばこれから私の体に入る、全ての食物に対してそう思えるようになろう。
と、そんないろいろな事を考えた釣り。この日とった食材は、ちゃんと美味しく料理して、私たちのお腹の中に収まりました。

カツオはたたきに、イサキはすだち風味の酒蒸しに、ウマヅラハギはお刺身に。今朝まで茅ヶ崎の海を泳いでいた生き物が、食卓に並んでいるのはなんとも不思議な感覚だった。
でも、とても美味しかった。
ありがとう、魚さんたち。

ちなみに食べ切れなかったアジは、塩水につけて干物にしてみた。干すのが洗濯ばさみしかなかったので、洗濯機置き場に洋服と並んでアジがぶらぶらしているというなんともシュールな光景に・・・・。
異常に長い記事になってしまいました。以上釣りバカデナリ日誌でした。
お付き合いくださりありがとうございます。
またこれからも釣りに行きたいなと思います。
(今度は、正しいタイミングで酔い止めをちゃんと飲もう!!)