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東京の今の家は5階でそして5階建てなので私の家は一歩出ると空が全面に見える。エレベーターがないというこのいけてないスペックさえ、吹き飛んでしまってここに住みたいなと思った空だ。
そして今日は雨曇りの隙間を縫うように、一瞬だったけれどちゃんと世田谷区でも日食を見ることが出来た。太陽は半月みたいな形になっていて、気のせいか涼しくなって、背筋がぞんわりした。今みたいにこれだけメディアがさわいで情報があふれていて仕組みがわかっていたとしても、太陽が欠けている姿はなんだか不安を呼び起こすもので、だとしたら全く日食なんて言葉がない場所や時代にいきなり太陽が消えたら、そこに住む人たちは本当に、どんな災厄がやってきたと思ったことだろう。テレビで見た悪石島は午前中なのに真夜中みたいになっていた。

でも、それまではテレビにかじりついて、ドキドキしながら奄美や中国のどこかのライブ中継を見ていたのに、自分の家の屋上からちょっと欠けた太陽を見たらなんだかそれで私の中の日食は完結して、その後はテレビの中の日食がどうでもよくなってしまって仕事に戻った。悪石島が曇りで見えないからって、大慌てでいろいろな場所に中継をつなごうと頑張っているテレビの感じがなんだかおかしくさえなった。我ながらゲンキンだ・・。結局自分の目を通してみたもの、体で感じたことでしか、本物の体験にはならないんだなあ。これだけみんな騒いでるものを見逃すわけにはいかない、という感じの追いかけられるみたいな気持ちの集合が、いろいろなものを間違った方向に進ませてしまう気もする。私も思いっきりその流れの中にいる。
きっと1週間くらいしたら、多分ほとんどの人は日食の話をしていない。
あるいは、次にやってくるという月食の話をしている。