Denali's Room 一語一絵

旅と猫とあんことスイカを愛する絵描き、デナリこと大野舞が日々をつづっています。

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2013年のデナリカレンダー「タロットめくり」もあっという間に8月になりました。
8月のカードは大アルカナのSTRENGTH。

内なる獅子。

強さとは、ねじ伏せる力ではなく、気高く優しく在る勇気のこと。

そしてもう次のカレンダーの季節がやってきた。これまでより時間を捻出するのに苦労しそうですが、来年ももちろん!制作したいと思っています。思えばこのタロットカレンダーはひどいつわりと戦いながらで相当辛かったけれど、動けなかった分時間はあった。

カレンダー作りをしていると、1年があっという間です。

くじゃくの夢

今年はあの場所にいけなかったけれど、6月26日は原点に戻る日。背筋をしゃんと整えて、今と、これからを見つめなおす大切な季節。いつか再会した時に、ちゃんと目を見てまっすぐ伝えられる道を歩いているか?
毎年の同じ質問を自分に問いかける。
12年という時間は過去を過去にするのに充分な時間で、
疑う余地もなくあの頃の未来に私は立っていて、
それでもつい昨日のことのように思えるのは何故だろう。

時間は流れてたまっていく。本当にあっという間だ。
去年生まれた甥っ子はあっという間に1歳になった。
私も31年も生きた。両親もいつの間にかアラ還暦。
環境はどんどん動いていてついていくには心に紐をつけて
ちょっと先の未来から一生懸命ひっぱらなくてはいけない。

なんてことのない毎日の風景、家族や友達との何気ない会話、
大切な人たちの笑顔を見る度に嬉しいのになんだか泣けてくる、心の梅雨どき。

どうでもいいことで大爆笑した時間のことを
くだらない言い合いで後悔した時間のことを
とても懐かしくいとおしい気持ちで想う、未来のことを思い出すから。
形あるものの形は必ず失われるし、
大好きな人たちも、自分自身もいつか全員いなくなる。

最後に思い出すのはきっと、
特別な日のことじゃなくて、ふんわりとした今日のこと。

生きる哀しさは喪うこと、生きる歓びは喪いたくないものが増えていくこと。
だから今日を人生で一番大事な日みたいに、生きる。
目の前にある風景、人、ものを精一杯愛する。
濃く抽出した時間をちょっとずつ、魂の年輪に刻んでいく。
何があったかは忘れてしまっても、その濃度だけは忘れないように。

今日生きてた。今日にありがとう。
明日も生きてたい。明日にもきっとありがとう。

長い長い幸せな夢。

Rainyday-May

不定期なのに恒例になってきた、デナリワークショップ。
また、連休明けの5月14日(土)に開催します。
場所は前回と同じ、Rainyday Bookstore & Cafe.スイッチパブリッシングという出版社の地下にある、本に囲まれて時間が経つのをわすれてしまう、素敵なカフェです。
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Rainy Day ワークショップ
「デナリと図工の時間 Vol.2 オリジナルブックカバーを作ろう」
2011年5月14日(土)
詳細は、こちらをご覧下さい。
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今までに、「オリジナルカード作り」のワークショップは何回も開催してきました。去年12月にこちらで開催させて頂いた時は、クリスマスカードでした。(その時の様子はこんな感じ。)

今回はこれまでと違うことをやってみたいなと思ったのと、参加者の方の迸るクリエイティビティを毎回目にしていて、クリスマスやバレンタイン、という風にテーマを統一にしなくても、全然出来るのでは!と思ったので、「オリジナルブックカバー」ということにしてみました。

でも、切ったり貼ったりの、普段はしない図工の時間を楽しむ、ということは今までと全然変わりません。やったことない~という人でも全然大丈夫です。手を動かしていれば、気づけば世界にひとつの何かが出来ているのです。カフェの方にご協力いただき、オリジナルデナリスイーツも作る予定です。そちらは私が頑張らせて頂きますので。(どきどき)

募集人数は25名前後で、ご連絡いただいた順となります。
一緒に図工の時間を楽しみましょう~!
お申し込み、お待ちしております^^)

sunsun
自分で繋がりを生み出しているわけじゃなくて、繋がりの中に自分が生かされているんだということをかみしめる日々。

3月はほとんどずっと家にひきこもっていて、様々な予定もキャンセルになって、暗闇の中でじっとしておりました。4月に入って、まるでその反動かのように、いろいろな人に会ってます。削られた部分を取り戻そうとするより、というより、やっぱり正直に言って、今はみんな一人でいたくはないのだ、という気もする。

好きな人たちの笑顔を見ると、こんなにもほっとする。
元気って知ってても、大丈夫って分かってても。

全ての関係性はそれひとつしかないものだ。大切な人たちに出会えた人生を幸運だと思うし、その人たちのためだったら、どんなことでも、なんて軽々しく言ってはいけないけれど、でも、できる。

出会いのシステムはどういう風になっているんだろう。それについて考え出すといつも不思議すぎて面白すぎて、モンモンとしてしまうのです。笑。

地球にいるたくさんの人たち、100年くらい生きてもそういう人が存在していることすら知らないまま終わる人が99%を占める。だからそもそも繋がった、出会った、というだけで、その人は人生変えるかもしれないスペシャルな存在。年齢も性別も社会的地位も関係なく。

最初の、袖触れ合うゾーン。しっかり出会うゾーン。一緒にごはんを食べたり遊んだり仕事をしたりするゾーン。一緒に会社を作ったり、親友や恋人や家族になったり、そういう深いゾーン。どんな深いゾーンも、まずは袖触れ合うところから始まる。ゾーン通過のペースが速い場合もあれば、途切れたり繋がったり、長い時間がかかる場合もある。

「全くの偶然で」とか、「その時はこうなるとは思ってもいなかった」とか、「ひょんなことから」とか、関係性について語るときそういう風に言う人は多いけれども、考えて辿っていけば、「たまたま」でない出会い、幸運でない出会いはきっとない。

どうなってどうやって、そうなるんだ!
不可思議な宇宙の出会い系システムだ!

見渡してみると、複雑な繋がりが見える。朝顔みたいな蔓っぽい植物に視覚化される感じ。思いもよらないところに不思議な形の絡まりが出来てたり、変な形のでもキレイな花が咲いてたりする。枯れてしまっているところもある。
見ていて幸福な気分になる部分と、悲しく苦しい気分になる部分と両方ある。でもきっとそういうもんなんだろうと思う。全部ひっくるめて、自分を生かす宇宙そのものだ。あたらしい繋がりも、むかしからある繋がりも、同じようにからまって有機的に刻一刻と動いている。

あんまり形にとらわれないで、繋がりを大事にしていこう。ずっと。出会いには常に好奇心を持ってワクワクした気持ちで貪欲に臨もう。自分も誰かの繋がりの大事な一部になれたらこんな素晴らしいことはない。

人は繋がりに生かされてるけど、人がいるからこそ繋がりはある。生きてても死んでても。一度生まれた繋がりは自分という個体が消えても残るものだし、もしかしたら全然別の、思いもよらない蔓の端っこの方で、小さな花くらい咲かせるものかもしれないから。
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3月31日に31歳になったので、31アイスクリームでアイスを食べたら、毎月31日は「サーティワンの日」だということで、アイスが31%オフでした!知らなかったよ、「お会計間間違ってますよ」って言っちゃったよ、安すぎて!
ということで31オンパレードなバースデー。29歳→30歳はさすがに緊張感があったけれど、30歳→31歳は「踊り場から完全に次の階に上ったね」という感じで、どんと来いや~、でした。ふふん。

これまでだったら思い切り詰め込んで、特別にしたいと思う日だけれど、いろいろな事があった今月を振り返って、本当にただ生きてること、普通の日常を送れること、それだけで充分過ぎるほどだなあ、とひたすら感謝をする日でした。なのでのんびりと遠出もせず美味しいものを食べたり、プラネタリウムを観て、宇宙の長さと人間の小ささについて粛々と考えたりしました。(KAGAYAさんのプラネタリウム番組ってなんかすごいのね・・)

毎年と変わらないのは、生んで育ててくれた両親への感謝、周りの大切な人への感謝。いつも、おめでとうと言われる倍以上のボリュームで、ありがとうと叫びたい日です。

地震の直後、わけがわからなくて、情報もなくて、家族と連絡は取れなくて、実家のあるところに大津波警報が出ていて、恐ろしい映像が流れていて、余震がどんどん来る中、人であふれた環七を一人でトボトボ歩きながら、いろいろな事を考えた。今になって思えばそんな私の大変さや不安は全く笑っちゃうくらいちっぽけなものだったけれど、その時確かに心はこれまで行ったことがない領域まで運ばれて、余計な見栄も虚飾もそぎ落とされて、本能が語る言葉だけが頭の中に響いておりました。

ただ、毎日を穏やかに送れる事がどれだけ貴重なことか。ごはんを作って、家族と食べる、そんな時間がどれだけの幸福か。人生どこで何があるか分からない。普通の日々がラッキーの積み重ねで、そんな時間を31年間も過ごせた奇跡に祈りたい気持ち。

そんなことを考えながら、いつもどおり過ごした日が、
結果的にはとっても特別な日になりました。

ありがとう。
これから何歳になっても、アイスは月末に食べるぜ!

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体と心は連動している。心にかかる無意識な負荷が、体の不調として出てくる。ということは、つまり逆も可能。体を、肉体を、楽しく嬉しい方向にもって行けば、気持ちもまた楽しくなるのです。

何はなくともとりあえず笑ってみる。
無理やりにでも、別に楽しくなくても、顔の筋肉を動かしてニコニコしてみる。なんでもいいから「笑い」の表情を作ってみる。すると根拠のない嬉しさが湧き上がってきて、元気になる。嘘だと思って、やってみてください!10秒くらい、この世で一番面白いもんを見たと思って!びっくりするくらい効果ありです。

心はいったんどこかにしまって、純粋に、体が、喜ぶことをする。美味しいものを食べても、運動しても、美しい花やお気に入りの写真集を眺めるのでも、なんでもいいと思います。この場合は本を読むとか何かを書くとかそういう頭を使うことより、「頭はなるべく使わず五感を喜ばせる」事の方が有効だと思う。筋肉の動き、血液の流れ、呼吸、細胞の振動、そういう肉体を作る全ての物理的な反射や反応に、結果的に心がひっぱられて、妙にエネルギーが満ちてきます。

そんなわけで、よく家で不敵に意味なくニヤニヤしています。私の場合それに加えて最近覚えたアンパンマン体操が加わったりするので、やっているうちに本気でテンションがあがってきて、それはそれで疲れます。これをもし屋外でやったら補導されること請け合いです。でも気にしない。子どもになったつもりで。
まあ、ただニコニコする分には、どこでも、ね。

元気、出ます。

おじいちゃんの時計
連休は避難ではなくただの帰省をしてきました。家族の顔を見て、ごはんを一緒に食べて、こんな時でも大盛りなゆうき食堂に行って、映画を2本観て(「プレシャス(→とても良い映画だったけれども、気分を明るくしたい時に観るのはおすすめではない感じ・・)」と「第9地区(→今までのエイリアン映画と全然違う切り口でいろいろびっくり。楽しかった)」)、猫たちを存分になでまわして、嫌がられて、と特に何もしていないんだけど、心がほどけました。やっぱり地震からずっと東京の一人暮らしの家にいて、心が自分で思っているより緊張してたんだな、と思いました。家族が無事に集えることに、改めて、感謝。それだって永遠に続くわけではないのだから、しみじみとその時間をかみしめる。続きを読む

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「おや、みなさん、どうしました。さあ、えんりょなく食べて。ボナペティ。」
三人が、ようやくスプーンを手にとると、料理番のホー君が風のようにあらわれて、もっとたくさんのお皿をテーブルの上にのせていきました。
「これは前菜。トマトのつめものに、きじ肉のパイ、ヤギのチーズに豆のサラダ。さあ、どんどん食べて。」
お客たちは、だまって料理を口に運びました。
「ザグドガ森ではふだんはどんなものをめしあがりますかな」
「山アスパラ、さるなし、きのこなんかも食べるよ」
青おばけが、チーズをほおばりながらこたえました。

(「ザグドガ森のおばけたち」本文より抜粋)続きを読む

さくら小
北上市立公園展勝地
(岩手県北上市立花10地割)
いーはーとーぼの桜の見所は、4月中旬くらい。訪れたのがちょうどその時期だったので、さくらまつりを見ることができました。
「日本のさくら名所100選」にも選ばれた名所、北上展勝地。2キロほど続く遊歩道に沿ってモコモコとピンクにうめつくされていて、その美しさに息を飲みました。ピンクの巨大なひつじたちがぎっしり「おしくらまんじゅう」をしているのかと思った。ここで本を読みながら、一日ぼんやりしたかったなあ。
今年もきっとこんな風に、桜は満開に咲くだろう。花見の季節ももうすぐ。でも今年、明るい気持ちで桜を見られる人は少ないだろうと思う。そのことを悲しく思う。
それでも、春は、やってくる。あたらしく生まれ変わる季節。
冬の間眠っていた命がいっせいに芽吹いて、
力強く成長する季節に移り変わっていく。

早くみんながのんきに桜の下でさわげる春がやってくればいい。
テレビがこぞって取材するのが、早起きして花見の席を取ろうとして目をこすっている新入社員たちになればいい。続きを読む

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できごとは変えられなくても
できることは変えられる。

どっかりあぐらをかいて、深く、深呼吸して
本能の声にいつもより耳をかたむけて
へその下に力を入れれば、フツフツ何かが沸いてくる。

今日は今日。
明日は明日。

ちょっとずつ、一歩ずつ。

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